僕の過去の事ですのでチョット興味があればサラッと見てね②完結編
実は外食産業を続けるつもりだった
ええ、この前の続きです。
この前⇒ 僕の過去の事ですのでチョット興味があればサラッと見てね①
はい、高校卒業後は、ファミリーステーキハウスフォルクスの社員として働いていました。
元々、高校からサービス業のアルバイトをしていましたので、外食産業には非常に興味があったんですね。
お仕事は、5年はしないと基本は学べないと聞いていましたので、19才から24才まで、5年間続けていました。
それに、食べる事にも非常に興味があり、いずれは『自分のお店を持とう!』と考えてもいました。
高校生の頃は、外食産業で働くと言う事は、バイクやクルマにお金をつぎ込む手段として働いていました。
おはようございます、オノウエです。
そりゃあもう突っ込みましたよ、お金。
今思うと、溜めていればホンマにお家が一件買えますよ♪
ハードなお仕事
今世間では、よく飲食関係のお仕事は、やれブラック企業!とか、どうとか、こうとか一部で騒がれていますけど、当時ではそんなの当たり前でした。
朝から晩まで立ちっ放し当たり前、休憩なしは当たり前、ご飯も食べる事が出来ても賄を食べる時間は3分ぐらい。
いわゆる3Kですね。
もちろん毎日ではないですが、超理不尽な環境で働いていたので、お陰様で強靭な肉体を、手に入れる事が出来ました(笑)
ただ、性格は相も変わらず、上司にはたてつくはムカついたら物は壊すわで、まあまあ腫れ者扱いでした。
ただ、体力はありましたので、ハードなお仕事はよく任されまして、ソコは重宝されていたと思います。
そして、高校を卒業して飲食のサービス業で働いている内に、ふと気が付きました。
レストランでは、ファーストフード店と違い特定のお客様のテーブルに、何度もお伺いする事が多いので、お客様との距離も接点も非常に近いんですね。
そうなんです。
お客様と何度も会話をするんです。
そこで、マクドでは感じられなかった、『ありがとう♪』と、言われる事が多くありました。
ナンか、ふと思いました。
『こんな僕でも、こんなに人に感謝される仕事があるんや』
と、
ええ、感謝の概念に少し気が付いた22才、働いている内にいずれは飲食店開業!の、考えが非常に膨れ上がって来ました。
『僕も自分のお店を!』なんて、色んな事を考えて覚えて。
そして、まずは飲食のお店をするなら、『調理師免許が必要やん!』と、思いました。
どっちかと言うと、接客がメインのホールスタッフだったんですが、調理師免許にチャレンジしました。
結果、料理経験のほとんどない僕は当然落ちました。
再度チャレンジするも惨敗、またまた落ちました(笑)
ええ、心に誓いました。
食べるのが得意な僕は、『料理人にはなれない』と、自覚いたしました。
この業界は諦めようと誓った24才の春でした。
クリーニング屋の丁稚へ
そうして、何かもっと違うお仕事を、と思いレストランのお仕事を辞めたのですが、失業保険をもらうのはイヤだったので、すぐに働こうと思って探していました。
そんな時に、クリーニング屋を営んでいた親父から、『知り合いのクリーニング屋が募集してるけど行くか?』 と、声を掛けてもらったので行く事にしました。
その時、親父のお店は、すでに僕の弟が次ぐことになっていましたが、僕がクリーニング業に付く時に、親父と馬が合わずにクリーニング業を辞めてしまいました。
親父はこの時に一緒に、仕事出来ればと思って紹介してくれたらしいのですが、僕にはそのつもりはなく、僕は自分のお店を出すつもりで頑張ろうと、またまた誓いクリーニング屋で働く事となりました。
クリーニング屋の労働環境
ええ、何と言う事はない、クリーニング屋も外食産業に負けず劣らずの、過酷なお仕事でした。
朝は誰よりも早くからお店に入り、夜は全員が帰ってから帰宅する。
ですが、すでに肉体改造の終わっている僕は、そんなに過酷なお仕事も、そんなに気にならず毎日を過ごしていました。
そして、この修行中にも色々やらかしました。
僕は、元々人間が出来ていない為、気に入らなければ暴言を吐いたり、破壊行為をしたり、他のスタッフにも迷惑をかけるなど、今思えば非常に申し訳ない事をしたと思います。
ええ、よく雇って頂いてくれていたと思います。
そして、ようやく29才の時に、見知らぬ土地で一度は自分のお店を出店しました。
が、
そんなこんなでうまくいかず、約一年でお店をたたみ、再び出戻りで、またクリーニング屋で働かせてもらったりと、親方や先輩にも大変ご迷惑を掛けてしまいました。
それでも、周りにおられた方々の優しさと、御厚意に助けられて、そうこうしている内に、あっという間に31才になりました。
そうして、遂にようやく来ました!!
7年間の修行の末に、新店のお店を、待望の自分の地元に出す事が出来ました。
しかし、またもやそう簡単にはうまく行かず、この出店時にも色々ありましたし、出店後も思うようには売上が伸びずに、悩んでいた時期もありました。
それでも、何とかスーパーサイヤ人と言われる、持ち前の体力と精神力で、今まで持ちこたえられました。
そうまでしてでも、ただ、『ありがとう』を聴きたいが為に、僕は続けていたんだと思います。
これからも。
結局は、一生懸命に働いてくれていた親父の背中を見て育った僕は、
『クリーニング屋をいつかはするんだ!』
と、ずいぶん前に、心に思っていたんだと思います。
それでも、親父とはクリーニング屋のやり方で、ずいぶんケンカいたしました。
しかし、最終的にはお仕事から親父は身を引いて頂き、その後も口出しも一切せずにいてくれました。
今は、親父も自分の好きな事をして過ごしています。
なんやかんやで、僕の将来のお仕事は、幼い頃からもうすでに決まってたんですね。
僕の天職は、『クリーニング屋さん』。
ええ、しみ抜き頑張ります!!
長文のお付き合いありがとうございました♪
これからもより一層、人の為、世の為、家族の為、自分の為にも頑張ります。
ではでは~
クリーニングISEYAシミ抜き修復師オノウエノボル
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大阪府吹田市五月ヶ丘北のクリーニングISEYA代表オノウエです。TeMA-クリーニングアドバイザーCA/京技術修染会認定修復師/京技術修染会関西地域認定講師/クリーニング師/と複数の専門資格を習得。
メディア:株式会社商業界発行・ファッション販売2016年12月号にて、衣類のお手入れガイドブックを掲載。
メディア:漫画家のふかさくえみさん作「鬼桐さんの洗濯」第2巻と第3巻の表表紙を開けた裏に参考資料として僕のブログである「onouenoboru.com」を掲載して頂きました。
ハッシュタグは「 #鬼桐さんの洗濯 」「 #ふかさくえみ 」 で検索。
メディア:吹田市男女共同参画センターデュオさんにて「プロ直伝 洗濯・アイロンのコツ~男性のための暮らしに役立つ簡単家事術~講座」開催いたしました。
メディア:摂津市男女共同参画センター・ウィズせっつさんの交流室にて「知って得する洗濯豆知識と、簡単!キレイに仕上げるアイロン講座」を開催いたしました。
”3度の飯よりシミ抜きが好き” ”休日はシミ抜き勉強会”こんなクリーニング師をはじめとする熟練スタッフが、お客様の”シミ”をお待ちしています。
お客様に喜んで頂く笑顔が一番のやり甲斐です。『うちのクリーニング屋さん』と呼んで下さい。