太陽の塔がある吹田市で42年以上前から地元でクリーニング屋やってます
Contents
42年前の太陽の塔の下で
はい、この写真は僕が2歳の頃、万博で大賑わいの太陽の塔の下で撮った写真です。
当時の僕は2歳、父親はこの時の事をすごく覚えているそうです♪
そして、何故か中国の展覧会のチケットだけが残っていましたので載せてみました♪
当時人気があったんでしょうかね?
僕は全く覚えていません。
当たり前か(笑)
吹田市の地元で伊勢谷クリーニング屋を始めたのが、父親がまだ20代の時でした。
その頃は漢字で伊勢谷。
後に、カタカナでイセヤになり、今はローマ字でISEYAです(笑)
父親と母親が2人とも三重県の出身なので伊勢谷。
クリーニング屋は出身地を屋号に使う事が多いので、越後やとか大和やとか越前やとかあるんですね。
おはようございますオノウエです。
ええ、父親がクリーニング屋だったお陰様で、僕もクリーニング屋になれました♪
父親には父親がいなかった
ええ、正確には父親が小さい頃に、父親の父親、つまりおじいさんは戦争に行って病気になり、帰ってきた後すぐに亡くなったそうです。
ですので、僕は当然戦争に行く前のおじいさんの写真しか見た事がありません。
若い頃の写真で、18才ぐらいの写真と思います。
画像は僕のおばあちゃん。
父親のお母さんは、当時女手一つで六人兄弟を育てていました。
僕の父親は5番目です。
実は一つ上のお兄さんもクリーニング屋に努めていました。
写真のおばあちゃんに抱かれているのは僕です。
おばあちゃんは90歳で亡くなりましたが、暇さえあれば畑仕事をしていた思い出があります。
さらに!超ヘビースモーカーでして、いつもパワフルなおばあちゃんでした。
そらまあ六人兄弟を一人で育てていますから、パワフルでないと無理でしょう(笑)
そう、父親には父親がいませんでしたので、自分が父親になった時にかなり戸惑ったと言っていました。
その点、僕には父親も母親も元気でいてくれております。
毎年、夏休みには子供たちを連れて、おばあちゃんやおじいちゃんやご先祖様に挨拶に行っております。
でも、実は僕がお墓参りに行き出したのは、自分の子供が生まれてからです。
ええ、メッチャ最近なんです(笑)
十代の頃は、お墓参りとかご先祖様とか実は興味が無かったんです。
ですが、奥様のご両親がいつもお墓参りに行っていましたので、そこに同行している内に僕も行かねばと思いました。
ええ、大事な事です。
気が付くのが遅いですが(笑)
今年も家族みんなが元気でやっている事を報告に行きます。
お盆休みまでもうちょい。
それまでお仕事ガンバリますよ♪
ではでは~。
クリーニングISEYAシミ抜き修復師オノウエノボル
-
大阪府吹田市五月ヶ丘北のクリーニングISEYA代表オノウエです。TeMA-クリーニングアドバイザーCA/京技術修染会認定修復師/京技術修染会関西地域認定講師/クリーニング師/と複数の専門資格を習得。
メディア:株式会社商業界発行・ファッション販売2016年12月号にて、衣類のお手入れガイドブックを掲載。
メディア:漫画家のふかさくえみさん作「鬼桐さんの洗濯」第2巻と第3巻の表表紙を開けた裏に参考資料として僕のブログである「onouenoboru.com」を掲載して頂きました。
ハッシュタグは「 #鬼桐さんの洗濯 」「 #ふかさくえみ 」 で検索。
メディア:吹田市男女共同参画センターデュオさんにて「プロ直伝 洗濯・アイロンのコツ~男性のための暮らしに役立つ簡単家事術~講座」開催いたしました。
メディア:摂津市男女共同参画センター・ウィズせっつさんの交流室にて「知って得する洗濯豆知識と、簡単!キレイに仕上げるアイロン講座」を開催いたしました。
”3度の飯よりシミ抜きが好き” ”休日はシミ抜き勉強会”こんなクリーニング師をはじめとする熟練スタッフが、お客様の”シミ”をお待ちしています。
お客様に喜んで頂く笑顔が一番のやり甲斐です。『うちのクリーニング屋さん』と呼んで下さい。